長野県果樹試験場 場長官舎(旧須坂町)

長野に転勤し 父が 場長になったとき引っ越して住んだ 場長官舎です。何でも 昭和2年ごろの 住宅コンク-ルで 全国2等賞をとった 建物だそうです。平成天皇が まだ 皇太子のとき 試験場を訪問され その際 父の説明の折に触れて この建て物についてご興味をお持ちになられ ご質問に なられたということでした。父の書斎には ヴォ-リスの邸宅の建て方の本があり 定年退職後の住宅の間取りの参照にしていたこともあり 私が大学生のころ 近くの 篤農家の方々の おせわになって 土地をおゆずりいただき現在の住宅を平屋で建築しました。その間取りはこの 場長官舎のパクリです。場長官舎は 地元の大地主 小田切家のもので 定年退職後の 県知事クラスの人に 賃貸目途で建築されたものだと聞いています。後年 旧木造平屋建ての 試験場建屋を 訪れた 井深大さんが 父を訪ねられ ここがほんとうの ソニ-の 発祥の地だと 感慨深げに 語っていたことを 伝聞で 父から 私が 聞いたことを 覚えています。大東亜戦争を戦うために 国策会社 日本測定株式会社の責任者として赴任された井深さんは 敗戦後 部隊を2つに分け 一方が 東京へ行き ソニ-となり 他方が 地域随一の内装会社 岩野商会になったということでした。松代大本営の地下壕 像山山頂と神田山山頂間のケ-ブルが受信電波用 神田山山頂から 苅田山山頂のケ-ブルは 発信電波用 そのための 通信解析の必要が国策となったのも当然でしょう。東京大田区鎌田から大井にかけて 通信電子機器会社を疎開させ その 任に当たらせたのは 当然でしょうし 敗戦後 富士通が ここを拠点に 企業城下町化したのもうなずけます。シルク産業のために集められた女工さんが 電話交換機や電子部品製作の女工員になったのも 下請け関連の町工場や 寄宿舎などの 地域のインフラがととのっていたからでもありましょう。飛行機の部品等の組み立てもいくつかあったようでした。現 明治村の かつての 村長を勤められた 東京帝国大学 建築学科の 関野氏が 大本営の 設計士であったことも 歴史的史実として 記録される必要があると 私は 思っています。