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沖縄の古民家の屋根にのっているシーサーです。
シ−サ−について または 魔よけについて シ−サ−はアジア周辺に普遍的に存在する魔よけの一種であり 日本でも 獅子舞による魔よけの風習があるが 基本的には同じル−ツと考えられる。 魔よけはアニミズムにおけるお払いの儀式に収斂されるが 似て非なるものにシャ−マニズムによる卜占(ぼくせん)がある。 その違いは 氷河期を経験しなかったアニミズム民族と氷河期を経験したシャ−マニズムの民族とに区別して理解するのが便利である。アニミズムは母系制をはぐくみ 末子相続を基本とするが シャ−マニズムは父系制を基本とする男子直系の相続を基本とする。日本は朝鮮民族の傍系であり 古代では日本語も朝鮮語も同一であった。アキヒト天皇による日本の天皇制における百済との兄弟関係への言及は歴史的に特筆すべき事件であったが 宮内庁も文部省も慌てたという現実が日本の現在を雄弁に物語っていると言える。すなわち 日本とはアニミズムの土着民族をシャ−マニズムの北方民族がハイジャックして成立したといえる。日本人の血液型の分布密度がこの事実を 明瞭に証明している。氷河期を経験した北方民族は持病に肺炎を持ちアニミズムの民を自然淘汰したということだ。 未だに残る魔よけの風習は南の沖縄シ−サ−や東北に残るなまはげやネブタの祭りは同根だと認識して大差あるまい。 信州の善光寺のご開帳の3尊像の両サイドに布置された道祖神は土着宗教が アニミズムの民であったことの証明であろう。戸隠は原語の発音は トンガク−シであり トンガとは頭の尖ったという南方系原語発音であり ク−シとは奇しくもというように山の頂きが奇しくもという発音に対し当て字して 戸隠と表記された経緯をみれば 仏教による千字文の伝来と仏像の布置が 土着の民の征服に用いられたことは歴然である。戸隠信仰が善光寺信仰に変わっていく有様は まさに アニミズムからシャ−マニズムの大乗仏教へと変化したことを如実に物語る。かつての善光寺建設は現代の公共事業であり 土着の民の最適地を強制的に土地収用して建設されたが 地域地区の長に対する妥協策として3尊像の両サイドに既存土着宗教の偶像を巧みに採用して 懐柔した結果であろう。沖縄のシ−サ−を見るたびに 私は かつて 島津藩に征服された際 最大の反逆をした英雄リザンを思い出す。それは坂之上田村麻呂に制圧された蝦夷の英雄アテルイと同じ関係をもつ。また日本の発禁本であるノ−マフィ−ルドの天皇の逝く国でを読めば この 沖縄混血児作家に映った土着の民の信条がシ−サ−に表現されている。私の設計した恩納村の1000室のリゾ−トホテルの名称は それゆえ リザン シ−パ−ク ホテル 谷茶ベイとなったのである。谷茶ベイこそ かの沖縄戦に米軍が上陸した読谷に接続する海岸線であり いまもなを 道路の反対側には 勇猛な第7艦隊の訓練場としてのキャンプハンセンが返還されないである。工事中フィリピンアキノ政権の崩壊がありさんご礁沖に第7艦隊が結集して真夜中に 何日も 不夜城のごとくホテル現場を照らし出していた現実を 私は忘れることが出来ない。そんな折にも庶民の住宅の沖縄瓦の屋根にシ−サ−が艦隊をにらんでいたことは 琉球の育てた英雄を彷彿とさせたのである。現在長野の片田舎の神社の獅子舞の保存の役員に名を連ねて ささやかな祭りの 笛や太鼓の音色やリズムを聞く年齢になってしまっているが なぜか私にはそんなユ−モラスなシ−サ−が懐かしいのである。
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