文光堂ビル 新潟市

大蔵省の策なかりしにという 総需要抑制令が発令され その後の 日本経済の失われた20年の始まりの瞬間に 建築された ビルでした。当初は 全国制覇をもくろむ 某 予備校の 新潟校 として 設定され 設計され 鉄骨 第 1節 建て方直前日に 立て方中止命令が 施工会社支店長の命令で 宣下されました。大蔵省金融局長~MOF担~金融会社~建設会社本社~支店~現場まで 一瞬のうちに伝達される命令は 幕藩体制江戸城~地方代官の御布令までと なんら変わりありません。まさに 私たちは 後期江戸時代にすんでいるような錯覚にとらわれてしまいました(その後にわかったことですが)。当事務所にとって とりわけ 私にとって 決して忘れられない建物です。その後の現場の対応は この世の地獄でした。聞くも涙 語るも涙の物語です。ようやく 写真の姿を整えて何事もなかっかのように ひっそりとたたずんでいます。万代橋を通り このビルの前を過ぎるとき 行く春や 鳥なき 魚の目に 涙 (松尾芭蕉)の一句が おもわず 出てしまいます。